ピアノで自立心を養う

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ピアノを習っていると必ずと言っていいほど経験するであろう、

発表会やコンクールなど人前で演奏をする「本番」。

 

性格にもよるかもしれませんが、この本番の舞台に立つときに

全く緊張しないという人はなかなかいないですよね。

 

間違えたらどうしよう、暗譜を忘れたらどうしよう、

本番前は どうしても悪いことばかり考えてしまって不安が大きくなります。

 

この不安を少しでもなくすためには日々の懸命な練習はもちろん、

とにかく本番を想定した練習を積極的に行い、不安要素を一つでも

なくしていくしかありません。

 

本番では最初の一音を鳴らした時点で音楽は始まります。

そこからは多少のミスがあったとしても練習したとおりに

最後の 一音を弾き終えるまで自分の音楽を奏でるしかないのです。

 

生徒さんのあまりにも不安そうな顔を見ていると、

できることなら 代わってあげたい、と思わないこともないですが当然のことながら

本番で自分の演奏に代役を立てることなどできません。

 

舞台に上がった瞬間から演奏を終えて下がるまでの数分間は

すべて自分の力で行動するしかないのです。

 

厳しい話かも しれないですが、誰も助けてくれません。

そして演奏の内容がどうであっても、その最高責任者はいつの時でも「自分」です。

 

以前、国立大学の音楽科を受験する生徒さんがいたのですが、

専攻が管楽器だったので、実技試験はその専攻楽器と副科ピアノの

ふたつを受験することになっていました。

 

どちらもソロで本番の舞台に立った経験が少なく、練習段階から

相当な緊張が伝わってきていたので、受験前に人前で演奏する機会を 作ろうと

本番を想定した弾き合いを何回か行っていたんです。

 

本番が大学受験という試験だったのでその弾き合いも 発表会というより、

本当に普段一生懸命練習して勉強していることを発表し合う

おさらい会という性質が強いものでした。

 

その時受験生と一緒に出てもらった生徒さんも、それぞれ真剣にピアノに取り組んで

いる子たちだったので、緊張感に包まれた中での 演奏から学びとるものも多く、

成長につながったようでした。

 

そんな中、私の大学の同期で自宅でピアノを教えている友人から連絡があり

小学生の娘に人前でピアノを弾かせてやってほしい、というものでした。

 

その子は友人である母親がピアノを弾くこともあり、

幼いころからヤマハで レッスンを受けていました。

 

初級クラスのグループレッスンだったころは

楽しい経験もしながら頑張って通っていたのですが・・・・

 

少し上のクラスで個人レッスンに変わってから、「できない」ことに

プレッシャーを感じることが増えたらしく、人前で演奏することに大きな抵抗感を持つようになり結局やめてしまっていたんですね。

 

小さい体ながらしっかりした音でいい演奏をする子でしたが、

もともと自分にあまり自信の持てない子だったので、そんな性格も 影響したのかな、

もうピアノを弾くことはないのかなと、なんとなく 思っていた頃に友人からの

ふっとわいたような話でした。

 

友人もピアノを弾く、弾かないというのは本人の意志を尊重したいと

無理強いはさせてこなかったのですが、人前で弾く自信を失くし

どこかトラウマのようになっている娘にその記憶を塗り替えてやりたい

と思う気持ちが強くあったのだと思います。

 

当の本人は、自分はピアノをやめたから発表会や今回の弾き合いも全く無関係に

なったわけですが、母親が熱を入れて自分と同じくらいの年齢の生徒さんを指導して

いるのをみていて少しうらやましい気持ちが でてきていたんだと思うんですね。

 

なんとなく自分も一緒に弾き合いに参加したいということを口にするようになり、

最終的に確認した返答は「ママと一緒だったら弾く」というものでした。

 

私はその子の今までの経緯を知っているし、

友人の母親としての思いも 理解しているつもりでした。

 

できることならそのトラウマを乗り越えて成長する機会にしてあげたいという

思いもありました。 でも・・・・今回は弾き合いの目的は本番に向けて懸命に練習を

重ね、 自分の演奏だけでなく他の参加者の演奏を聴いて学び合い勉強すること。

 

そして一番は受験生の本番に向けたリハーサルを兼ねていたということ。

参加者もそうですが、私も一日一日真剣に向き合っている中で、

「ママと一緒だったら弾く」という申し出を受け入れるには、

どうしても 強い抵抗があったんですね。

 

私自身どうするべきなのか、何度も何度も考えて悩んだのですが、

やはり受験を控え毎日緊張や不安と闘いながら頑張っている受験生や

自分の演奏を全うするために一生懸命練習して準備している参加者のことを思うと

どうしても受け入れることができなかった。

 

そして、ピアノの演奏スタイルにはもちろん二人で演奏する連弾やデュオなども

ありますが、そういうことでは決してなく、ただ人前で 一人で弾くのが恥ずかしくて

不安だからママと一緒に、という甘えが その子をどう成長させるのかを考えた時、

やはり断ることにしたのです。

 

すごく意地悪をしているような気持ちになりましたね。

そんな細かいことにこだわらなくてもいいじゃない、と

もう一人の自分がささやく声も聞こえました。

 

でも、ピアノはただ弾けばいいでは意味がないんです。

何かに真剣に取り組んだとき、誰でも必ず自分の弱点と向き合うことになりますよね。

 

ことさらに本番ともなると大人だって緊張から逃げ出したい衝動に

駆られることも珍しくないです。でも、その一つ一つの弱点と 必死に向き合って

闘うから乗り越えた時に成長できるんです。

 

その子の根幹にあるものは何か、ということにとことんこだわりました。

確かに演奏の質を高めることは大切です。ミスをしないことだって立派な ことだし、

技術や表現力のことをあげると一生勉強ですよね。

 

でも、そんな大切な演奏も、いや大切な演奏だから

「ママと一緒だったら」 では意味がない、たとえどんなに完璧に演奏したとしても

自分で 頑張ったことにはならないんだ、ということをわかってほしかった。

 

そんなことがあって当日を迎え、それぞれできる限り精一杯の演奏を 披露し、

自分の課題という大切な財産を得て1日を終えました。

今回は参加できなかったその子も会場で皆の演奏を聴いて いたのですが・・・

 

すべての演奏が終わり椅子などの後片付けをしていると、 突然ピアノの音が鳴り始め、

大きな古時計が聴こえてきました。 振り返ると、私の母がピアノのそばに正座して

座り、その子が奏でるピアノの メロディーに合わせて歌っていたんです。

 

友人も含めその場にいた皆が ピアノのそばに座り一緒に歌い始めました。

全部弾き終えたときの晴れやかな顔、嬉しそうな顔、今でも忘れられません。

 

自分の意志でピアノの椅子に座り、誰に言われたわけでもなく

自分の意志で 弾いたのです。参加者の頑張りを見て何かを感じたのか、

それはわかりません。

 

でも、今までどれほど言っても人前で弾くことのなかったピアノを

誰かに聴いてもらいたくて自ら弾き始めたこと、頑張ってできない自分から できる自分

に変わったこと、その事実が奇跡のように思えました。

 

そのあと皆からもらった割れんばかりの盛大な拍手は、その日の演奏者の中で

一番大きくホールいっぱいに響きわたりしばらく鳴りやむことはありませんでした。

 

人間というのはもちろん一人で生きていくことはできません。

しかし、誰かがいないと生きていけないということではないですよね。

自分で考え、自分で決めて、自分で行動するんです。

 

自分の責任で歩く人生だから最高に面白いんだと思うんですね。

失敗するかもしれないけど、うまくいかないかもしれないけど、

自分の足で一歩を踏み出す経験というのはとても貴重だと思っています。

 

思うような結果にならなかったとしても、自立心を持って行動することで、

その後の人生を歩む大きな自信になるということは間違いないです。

 

ピアノを習う、それは弾くという技術面だけではなく、

心も一緒に成長 させていくものだと私は思っています。